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各行事について

ほた集め・ひょうけんぎょう


大晦日の昼、子供たちは各家を回り「ひょうけんぎょう」の薪を集める。
これをほた集めという。「ほた」はほだともいい、薪のことを指す。

ほた集めには古式通りの挨拶が残っており、
子供たちが戸を開け「ものもう」といい、家人は「どうれ」と返す。
子供たちは「ひょうけんぎょうを祝ってください。」の後
「松木に米こ銭も金も持って代々(橙をかけている)」と歌い、薪や餅、お金をもらう。


夜、村組・配役・屋たちの夜籠りに入る前に、ニラクラでは神主による祈祷を行う。
その後聖地であるニラクラでほた集めで集めた薪を使って大火を焚く。この大火を焚くことを「ひょうけんぎょう」という。
この火にあたると1年中風邪をひかないといわれ多くの見物客が集まる。


「ひょうけんぎょう」の由来
江戸時代初期、ニラクラのあたりではニナ(ウニ)が住んでいた。漁師が足をついて困るため、ある年に寺の和尚が漁師を総動員させ、ニナを全部捕って法華経を唱えながら焼き捨てた。
その後「角力(すもう)が取れるぐらい針 1 本残っていない」といったところから角力取が、ニナの供養のためにひょうけんぎょうが続けられていると言われている。


寺の和尚が行った供養が元になった「ひょうけんぎょう」で、現在は神主の祈祷が行われていることについては
「もともとは寺の行事であったが、明治の終わりに新宮の山伏が来て以来寺の行事から離れてしまった」(『尾鷲市史』)という記述がある。この時にいったい何があったのか詳細は不明だが、この時以来神社の行事になった可能性がある。
村組・配役・祷屋は大祷の家に集まり、行列して九木神社に上がる。神社では十二祷を納め盃事を行い刺身・小膾(こなます:膾のこと)などを食べる。霜月祷が稲荷社・鎮守社に参拝する(夜籠り)。儀式後、直会(なおらい)になると神楽が幣入れの舞(へいいれのまい:浄めの舞のこと)を舞う。神楽は獅子神楽で、ニラクラでも舞う。村組の一行は海岸通りを通って下山し、ニラクラの火が燃えていたことを確認して大祷家に戻る。

上の祝いは神主役・村組・配役・祷屋がニラクラの祠に参拝したあと、ニラクラの内部にござを敷き円座となって共同組合長を上座に村組、配役、大祷・小祷の順で座り盃を交わし刺身や小膾などを食べる。 式の最後に村組が謡い、見物人に巻き銭(十二銭)を行う。


ここでの角力は泥かけ角力で、大祷・霜月祷によって行われる。
ニラクラでは、まず小祷がひょうけんぎょうで燃やした薪からできた消し炭を潮水でどろどろに溶かして土俵に入れたものを用意する。
大祷・霜月祷が真魚箸(まなばし:魚料理に使う長い箸)で土俵を2度ついた後、炭の水しぶきが相手にかかるように土俵を投げつける。これは前述のひょうけんぎょうの由来により、ウニを退治してもう針一本残っていないと墨を塗りつけて示すためである。
その後4人の子どもがニラクラに入り、子供を土俵に転がし、最後に海中に入って垢離(こり)をとる。


墨で身体が真っ黒になればなるほど大漁になるといわれていることについての一考察

「海が黒くなる=大漁」から来ているようあるが、後述の賀儀取諸礼における「赤身で来い、大魚群で来い」等、祭りにおける「赤」の神聖さ(「魚と人と神と仏と」山中充)から考えると、大漁=海が赤くなるの方が自然であり、海が黒くなる=大漁は後付の意味ではないかと推察できる。もっともニラクラ祭りが元来ウニの供養であることはほとんど知られておらず、「豊漁祈願の要素が入っていない祭りの前半部分」に意味を足したという扱いかもしれない。それほどまでにこの町の鰤への願いが強いというのがわかる。
下の祝いは、一同が共同組合の二階で盃事を行い、村組の謡で終了する。 
賀儀取は丹前に身をまとい、神楽の幣入れ舞の後、神楽先導にて前弓・後弓の順で神社へ向かう。籠堂にて幣入れ舞の後、三月祷の介添えで神社下の海にて垢離をとる
賀儀取は諸礼までの間、朝夕の垢離とりをし堂に籠もり身を清める。
村組・配役・祷屋が行列して真巌寺に上がり、住職より大般若転読祈祷を受ける。その後直会になり、小祷が持参した炒り米を一つまみ食べる。このとき住職より祭りの由来、医王山真巌寺鎮守縁起などを聞く。その後小祷が全員の頭に「牛王宝印」と称される印を押していく(押す様から「ぐーりぐり」と呼ばれている)。終わると寺より帰っていく。

祭りに使う魚を用意するための初漁に対し、お祝いを渡すこと。
現在は2日に漁をしておらず、大敷から祷屋に祝い(鯛などを干したもの)を渡し、祷屋はお酒を渡している。
本祭りの大祷の座敷(現在では共同組合の2階)に招待する組合員の忌服の調査と料理の検分をする。
その頃神社では賀儀取が赤飯を炊き、それを半紙に包んだ「おごく(御供:神仏へ備えるもの)」を多数作っておく。
霜月祷は大祷の座敷に招待する人に使いをする。
神楽が神楽宿から町内を一巡してくる。
神楽を先頭に村組・配役・祷屋らが神社へ行列して練り歩く。
神社の鳥居につくと、賀儀取の前で幣入れの舞を舞う。
囃子が下がると人々は参拝し、賀儀取は参拝人に「おごく」を手渡す。
1月3日午前に神楽の先導で賀儀取を向かえにいく。賀儀取が鳥居まで降りると、三月祷は賀儀取の草履の鼻緒を切って海に捨て、懐の新しい草履をはかせる。再び行列して共同組合の座敷に入る。霜月が座敷への「相伴」の連絡を3度行う。全員が揃うと盃事を行う。

午後、神楽が幣入れを舞い、前弓の配役が的を持ち、これを先頭にして行列し町内を一巡して真巌寺に向かう。
寺庭に着くと三月祷は賀儀取の草履を脱がせ懐に入れる。
この後賀儀取が矢つぼから矢を抜いてくるなど古式の作法により4立弓を射る。
射られた矢は天狗(矢取)が矢を取りにいく。この時周りの練り人たちも一緒に「赤身で来い、大ナブラ(魚群)で来い」等囃していく。赤身とは鰤のことであり、海が赤く見えるほどの大漁を願う囃しである。
賀儀取が両祷人に連れられて的と鎮守社にお神酒を注ぎに行き、最後の矢を射る。


弓射が終了すると本尊の前で住職を中心に一献の盃事を行う。外では的が見物人によって壊され持ち帰られ、獅子一頭が舞う。
夕方神楽宿にて「星祭」の直会が行われ祭りが終了する。






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